
この記事を書いた人

アリのママ
社会福祉士・介護支援専門員・ヘルパー2級の資格を持ち、就労継続支援B型や生活介護などを併設した施設で、非常勤の支援員として約3年勤務。その後自身も就労継続支援A型事業所の利用者として利用後、支援員として勤務。
支援する側と支援される側の両方を経験したことで、両方の視点から見ることが出来ることが強み。
noteでも執筆中:アリのママ 自己受容を語る/自分を後回しにするプロでした

アリのママです。
私は医療や高齢者・障害者福祉サービスで支援員として働くなど、福祉の仕事をしてきました。
のちに私自身が双極性障害(双極症)と診断され、就労継続支援A型などを利用者として使ってきました。
この記事では、福祉の仕事をしていて、精神疾患についても少しは知っていたのに、自分の異変には気づけなかったことと、支援する側だった私が利用者になるまでのことを書きました。
いま不調を抱えながら支援の仕事をしている方に少しでもお力になれればと思います。
最初に異変に気づいたのは、同僚の先輩だった

福祉の仕事をしていたころ、仕事で車を運転していて、事故を3回起こしました。
それでも、私は自分の異変に気づいていませんでした。
最初に気づいてくれたのは、同僚の先輩でした。
先輩はうつについて書かれた精神科のパンフレットを手渡してくれました。
それでも、すぐには受診しませんでした。
そのうち、勤務中に突然涙が流れるようになり、トイレや帰りの車の中で泣いていました。
別の課の上司に相談すると、すぐに事務長につながりました。
事務長との面談で「ほかの先輩も同僚もベテランだから、まずは休んで」と言われました。
その一言を聞いた次の日から、肩の荷が一気に下りたように、体が鉛のように動かなくなり、寝たきりになりました。

受診したのは、そうして寝たきりになってからです。
うつと診断されたときは、「そうか」という感じでした。
精神疾患の何かだろうとは、思っていたからです。
受診はしても、薄い知識があったために薬を飲まずにいた

どうやって受診したのか、記憶はあまり定かではありません。
ただ、受診したのは、先輩が手渡してくれたパンフレットの病院でした。
ほかの病院には、私が担当していた利用者さんがすでに通院していて、待合室で鉢合わせることを避けたかったのです。
当時の私は、うつであれば、薬を飲まなくてもよいのではないかと思っていました。
そのため、受診はしていても、薬は実際には飲んでいませんでした。
のちに診断名が双極性障害に変わったことを境に、薬を飲み始めました。
服薬に関して
双極性障害(双極症)の治療では薬物療法が欠かせないとされ、服薬の中断が再発の大きな理由になるという報告もあります(日本うつ病学会「双極症とつきあうために」)。
薬について迷うときは、自己判断せず必ず主治医に相談してください。(編集部)
口数が増えて活動的だった時期が、あとから躁だったと分かった

最初の職場でうつによる休職を経験し、退職しました。
その後、自宅で療養したあと、再び福祉の仕事に就くことができました。
再就職先で、私は口数が増え、活動的になりました。
乗りもしない自転車を、店内にある最安値の9倍の値段のランクを買ったこともあります。
その後すぐに、うつ症状が来ました。
あれが躁だったと気づいたのは、過ぎてみてからです。
精神科の先生もよく話されていますが、躁の状態には個人差があります。
けれど、躁の渦中にいるときは特に、病気だという自覚が薄くなる傾向があります。

双極性障害の人は、規則正しく過ごし、仕事や家事もやりすぎないといった「セルフモニタリング」が大事になってきます。
働いていたころの私は、がっつり残業していました。
いわば「セルフブラック」な働き方です。
いまは娘に、寝る時間、起きる時間、必ず作業をやめる時間のアラームを設定されています。
現在利用している訪問看護の方とも、50分に一度は休息をとると約束しています。
休職したときに支えになった人たち
中途障がいになっても、当時一緒に暮らしていた子どもたちは、明らかに寝込んでいる母の私を、腫れ物に触るように扱いませんでした。
独立していた子どもは、寝たきりの私を見ていないので、いい意味で私の体調には興味がありません。
2度目に休職したときは、上司も事務員さんも社長も、「在籍していていいから」「有休を消化してから退職していいから」と、気持ちの面でもお金の面でも優しい声をかけてくれました。
この職場では、休職中に引き継ぎができなくても業務を回せる体制がありました。
上司や社長、事務員さんに支えられ、私はA型利用後に、再びその事務所に戻っています。
A型の利用を決めたのは、リワークに半年通えたこと

A型の利用を決めたきっかけは、精神科のリワークに、週5日、9時から15時まで、半年間休まず通えたことでした。
リワークの医療スタッフさんからは一般就労をすすめられましたが、私はもう一段階、リハビリの期間を設けたかったのです。
※リワーク:精神科の医療機関などが行う、復職や再就職に向けたリハビリのプログラムです。(編集部)
支援する側だった自分が、利用者になって

制度を知っているからこそ、サービスを利用するときには、自分の経歴や同業の経験があることを、関わる医療や福祉の方に伝えています。
調子によっては、同業あるあるの話に花が咲くこともあります。
見た目では障がいがあることが分かりにくいので、リワーク通所中に、同業の方に会ったときは、「ここで働いてるんだ」と声をかけられたこともあります。
利用者として施設外就労に出かけたときも、支援員さんと間違われたりしました。
一方で、最初に休職してから10年たったいまも、最初の職場があった地域には、申し訳ない気持ちがあり、近寄れません。
退職後、引き継ぎがなかったことで現場がとても大変だったと、後になってから直接聞きました。
私が精神疾患で寝たきりになっていたことには伝わっていませんでした。
仕事で関わりのあった市役所には、元同僚や同業者が手続きに来ることを知っています。
そのため、知り合いに会うかもしれないと思うと、申し訳なさでいっぱいになり、そわそわしてしまいます。
自分の異変に気づけなかった経験から伝えたい6つのこと

この記事で書いたことを振り返ると、次の6つです。
- 最初に私の異変に気づいたのは、私自身ではなく、同僚の先輩でした。
- 受診はしても、うつについて薄い知識があったために、薬を飲まずにいました。
- 口数が増えて活動的になっていた、不要な浪費時期が躁だったと気づいたのは、過ぎてからでした。
- 休職したときは、腫れ物に触るように扱わない子どもたちや、優しく送り出してくれた職場に支えられました。
- リワークに半年通えたことが、A型を利用するきっかけになりました。
- 最初に休職してから10年たったいまも、最初の職場があった地域には近寄れずにいます。
医療や福祉の仕事は、誰かの人生や命、生活に触れる仕事です。
疲れもあるけれど、それ以上のやりがいで動けている部分が多いのかもしれません。
自分をさておいていないつもりでも、帰りに仕事で使う物も一緒に買って帰ったり、少し前に出勤して準備万端に備えたり。
見えない労働が積み重なって、疲れているのが当たり前でした。
周囲の働き方も疲れ方も、それが当たり前に見えていました。
全部、働いていたころの私自身のことです。
年に1回のメンタルチェックだけでは、見逃してしまうと思います。
自宅での療養が1年を超える経験をして、健康のありがたみを感じています。
支援はもちろん大切です。
けれど、支援は、支援する人の力と心があってこそです。
どうか、その優しさを自分にも向けてほしいです。
働いていたころの自分に声をかけられるなら、「手の抜き方を知ったほうがいい」と言いたいです。




